フォロワーを褒めよう

俺だ。

 

 

こんにちは、僕です。

 

テンションが上がったので、筆舌の限りを尽くしてブログを書きます。

 

 

ブログ、更新しようと思っても中々ネタがないんですよね。

 

やっぱり自粛に加えて元々インドアの人間なので、そうそうブログ書けるぐらいのイベントが発生しないんですよね。

 

オフ会とかやれば書けるんですかね。

 

 

 

まあそんな話は置いといて。

 

そんな基本なんもない人間の僕がまたブログを書きましたと。

 

今回の話題はフォロワーについてですね。

 

具体的に言えば、褒めます。

 

 

というのも、フォロワーがフォロワーを褒めるブログをしたためてたので、俺もなんか書くか〜と思ってお題募集したらまんまとこれになったわけですな。

 

 

まあ〜僕はフォロワーを3年間ふるいにかけてかけてかけまくってますから。

 

(僕にとって)いい人間が集まってるのは当然です。

 

いいところもたくさんある人たちですからね。

 

書くのは簡単です。

 

 

 

 

今回は、比較的新参ではあるけど仲のいい3人のヒョロワーを褒めてくわよ〜

 

それではレッツゴー

 

 

 

 

わんわんのお話

 

ワン!僕は柴犬が好きだよ

 

わんころはイカ甲子園の二回戦で当たったチームの一人なんよね〜。

 

前回出たときもお相手と繋がったりとかはしたけど、ここまで仲良くなったのはわんわんが初めてかな。

 

最初は(陽キャかよクソが)って思ってたけど、思いの外″″″″陰″″″″の雰囲気も感じ取れるようになってきて僕は嬉しいですねw(煽)

 

 

 

さて本題に移りますけど、このわんころのいいところは……

 

 

ずばり、無害なところですかね。

 

 

なんだろうね、いいところは勿論たくさんあるんですよ。

 

でもね、やっぱり初期の微妙な距離感の時の感じ方が忘れられなかったんですね。

 

 

まあここからは昔話。

 

上にも書いた通り、僕らはイカ甲子園の敵同士でした。

 

あんま長くなるのもアレなんで掻い摘んでお話するんですけど、終わったあとに握手をしにきてくれたんですね。

 

(まあ僕は同じ側の手を出してアホみたいな握手になってしまったんですけど)

 

この時点で、印象としては悪くはなりません。

 

それに加え、僕は初対面の人間に対して、若干の恐怖を覚えます(コミュ障のため)。

 

が、わんころに対してはそれが無かったんですよね。

 

 

うーーん、これは誰にでもできることじゃないです。

 

無害な雰囲気、温和な話し方、腰の低さに柔らかい声。

 

一見地味ですけど、これは立派な才能です。

 

喉から手が出るほど欲しがっても手に入るもんじゃありません。

 

 

ちなみに僕も欲しがってる側です。

 

心底羨ましい。

 

 

これがあると何がいいかって、話しかけやすいんですよ。すごく。

 

僕みたいなコミュ症でも、(あ、この人なら話しかけても大丈夫かも)って思えるんですよ。

 

これは凄いことです。

 

極論を言えば、消極的な人間を味方につけることができます。

 

言い方は悪いですけどね。

 

でも、人に好かれやすいってのは人生においてクソほどデカいアドになりますよね。

 

そういうことです。

 

 

さっきも言ったけど他にも語りきれないほどいいところはあります。

 

でもまあ今回は最初に思いついた″無害″についてということで。

 

それでは次。

 

 

 

 

 

 

なおぴのお話

 

 

なおぴ すいみんポケモン

いつも寝ている ピーマンが好き

 

 

お次はalwaysスヤスヤウーマンのなおぴですね。

 

なおちゃんはわんちゃんと対抗戦したときにたまたまいたお仲間さん。

 

そん時に結構楽しかったので自発したらなんか仲良くなってしまったやつ。

 

人との出会いはどこからやってくるか分かりませんな。

 

 

はい、そんじゃなおぴのいいところですね。

 

なおぴのいいところは、距離を詰めるのがうめーとこですね。

 

 

なんか犬っころのブログと似たようなこと書いてんなーという自覚はあります。

 

でもしゃーない。これは多分みんな同じく思ってることなんでしょうね。

 

なおぴっぴは、なんとなく懐っこい感じがありますね。

 

それでいて距離感は適切、人に好かれる術が分かっている感じですね。

 

それが意図的か意図的でないかは置いとくにしても。

 

 

他人に対して物怖じしない性格と、人の心にするりと入ってくる才能。

 

二つが合わさり最強にみえる。

 

 

わんころと似ている部分はあるけど、最初からすごく話しやすくて(この人は結構好きだな)と思ったのも覚えてます。

 

また話したい!と思わせるのもまた一種の魅力ですよね。

 

 

ま、人間の魅力は一言で語り尽くせるもんじゃないんですけども。

 

今回はこんな感じでまとめてみました。

 

 

はい次ね。

 

 

 

 

 

うまるフォーーーーーーwwwwwwww

 

 

うまるんのお話になりますね〜。

 

うまるんは、僕が渋で2次創作を書きなぐってた頃にそれ経由で自発してきた子ですね。

 

 

僕はコミュ症なのであんま自分からは絡みに行かないんですけど、うまるんは彼なりに距離を詰めようとしてくれたんですよね。

 

 

その時の率直な感想。

 

 

 

 

なんだコイツ!?

 

 

 

驚きましたね。

 

何に驚いたかって言うと、すごく言い表しにくいんですけど、″カチッ″てハマる音がしたんですよ。

 

 

僕の人生でその音がしたのは、両手の指で数えるほどしか記憶にないです。

 

まあ僕からしたら相当ソリの合う人間だったわけですね。

 

 

まあ今日の主題はそこじゃないです。

 

それを経て付き合いを続けて行くうちに気づいたことがありました。

 

 

 

 

うまるんは、怖いぐらいに気遣い屋です。

 

意識してるかは分かりませんが、恐らく頭の中で推敲し、適切な内容とタイミングで発言しています。

 

それが、気づかないほどに自然。

 

てことは無意識なんですかね?すげえ。

 

 

話している時は気づかなくても、思い返してみると、不気味なほどに不快感がありません。

 

別に他二人が不快って言いたいわけじゃないんですけど、コミュニケーションが余りにも円滑です。

 

 

かと言って軽口がないわけじゃないし、言葉遣いが特別丁寧なわけでもないです。

 

なのにそう思わせるというのは、ある種とんでもない才能なのではないかと常々。

 

 

周りをよく観察し、行動言動をコントロールできるというのは現代に生きる我々にとって何物にも代えがたい特技と言っても過言ではないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

なんかあれだよね、これ本人たちに読まれると思うとこっ恥ずかしいものはあるよね。

 

まあ人を褒めるのは嫌いじゃないし、悪い気分でもないですね。

 

 

僕は文を書くのがすごく好きだけど内容がないよう〜(笑)なので、「こういうの書いて!」っていうのがあればぜひリプとかで教えてくれればそれを書きます。

 

ぜひよろしくお願いします。

 

 

 

それではまた

 

 

 

 

 

 

俺の話を聞いてくれ

 

3ヶ月ぶりだな……(エレン)

 

 

 

こんにちは、鈴木です。

 

 

最近は罫線やキッスと呼ぶ人が減って、代わりにやっぴーとかあげまんとかって呼ぶ人が増えてきましたね。

鈴木が一番多いことには変わりないんですけれども。

 

それに関して嫌悪感とかは無いんですけど、若干こそばい感覚はありますね。

 

 

まあ世間話はこのぐらいにしておいて、今回の内容はタイトルの通りです。

 

僕が今まで生きてきた、人生についてのお話になります。

 

なんでこの話をするのかってお話をいたしますね。

 

 

実は(周知)僕、中々メンタルが弱くて、些細なことでたくさん考え込みます。

 

このアカウントではあまりやっていませんが、弱音を吐いたりグチグチ色んなモン垂れてたりしてます。

 

なんかこう、スマートと言うか……飄々とした人間が好きなもんで、ウジウジするの本当は好きじゃないんですけどね。

 

 

まあそれは置いておいて、そのウジウジムーブをかましたりだとか、古の鍵垢で書いたブログを読んだ人(いるかは分からない)ならわかると思いますが、史上最大に悩んでた時期も直近にありました。

 

そんなことをしていれば、優しいフォロワー様が声をかけてくれる、なんてこともありますよね。

 

空リプ、Line、DM。電話までいただいたこともありましたね。

 

ホントありがとうございます。

 

 

が、僕自身、相談というものがハチャメチャに苦手でして。

 

心の内だとか悩み、不安みたいなものを他人に吐く。

そうすることで、「なんだ、そんなショボいことかよ」って言われたり思われたりするのが嫌なんですよね。

 

あと、前述した通り、飄々とした人間が好きだからってのもあります。

そういう人たちって、悩みなんてなさそうですしね。

 

そんなことはしない人たちをこの三年で濾してきたつもりではあるんですが、不安というものは拭っても拭ってもついてくるものです。

 

 

でもやっぱり、それで怖がって何も言えなくて、お前は信頼してないって思われるのも芳しくありません。

 

 

ですんで、この機会に僕の人生について話せる部分は事細かに、話せない部分はボカしつつ書きなぐっていこうかなと思った次第です。

 

 

鈴木という人間が、どのように生き、悩み、何を見据え何を考えているのか。

 

それについて長ったらしく語っていきたいと思います。

 

 

 

 

遅くなりましたが、要約いたしますと、

 

このブログは、僕の今までの人生や心情などを無限に書き連ねる自分語り山盛りの内容になっております。

最高に長くなると思われます。

苦手な方はブラウザバックしてください。

 

 

 

 

それではレッツゴー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生までのお話

 

 

まずは小学生以前のお話になります。

 

鈴木くんは、2002年1月16日、某市内の病院に産み落とされ、障害や大きな病気、怪我もなくすくすくと育ちました。

 

 

性格が構成される大事な時期ですが、人見知りこそ入ってはいましたが、明るく社交的で、クラスの中心に立てるような人物でした。

 

今でこそカスみたいな陰キャに成り下がってはしまいましたが、幼少期はまあリーダー格で、スンゲ〜楽しかったですね。

 

 

そんな中ですね、卒業も見えてきたって頃に、担任の先生から中高一貫校の受験のお話をいただきまして。

 

確かに成績は中の上ぐらいだったんですけど、なんで俺なんだろうと。

 

小学校のテストなんか全員100点取れるじゃないですか。

なのになんで俺なんだよと。

 

まあ今考えてみるとですね、実はその担任の先生、過去に教鞭を執っていた祖母の後輩だったんですって。

 

それも手伝ってか気に入られてたんですよね。

 

それで受けてみたら?って言われたので、記念受験するか〜っつって承諾しました。

 

 

受験内容は、作文と面接、それと適性テストと呼ばれるクイズのようなテストでした。

 

当時は作文が苦手だったので、ネットで公開されていた過去問に目を通しておくように言われたのですが、普通にサボりました。

 

見るふりしてニコニコでパワプロ桃鉄の実況見てた(バレてしこたま怒られた)。

 

 

って言うのが続いて、ほぼノー勉のままやってきた受験日。

 

結果としては、ゴミでしたね。

作文はABC評価でB、適性テストに至っては54点。

 

後で分かったことなんですけど、適性テストの平均点が35点ぐらいだったんですよね。

実は優秀だったっていう。

 

まあ当時は知らんかったので、落ち込んで……

 

 

 

 

ませんでした

むしろ、これでみんなと同じ中学校に通える!と喜んでました。

 

 

ま、結局受かったんですけどね。

やは〜♡

 

 

 

 

 

中学校のお話

 

 

はい、中学校編です。

 

ここからちょっと詳しく書いていくので、長くなります。

ご了承ください。

 

 

僕の中の陰キャが顔を出したのは入学したての頃でした。

 

前述した通り、僕は人見知りが結構激しいです。

今でこそSNSを通じてマシになりましたが、当時は酷いもんでした。

 

まあ〜〜誰とも話せず2週間。

本当に厳しかったですね。

 

粋な計らい(?)で入学から2週間で冒険活動という宿泊イベントを学校が開いてくれるので、友達はまあできましたけど、その2週間が結構なトラウマになっちゃったんですよね。

 

そこからはおとなしめの温和な人間として生きていました。

 

 

 

まあそこまではいいんですよ。

 

次に、部活の話に入ります。

ここで僕は、人生最大のミスを犯しました。

 

 

 

知ってる方も多いと思いますが、僕は中学時代、水球部に所属していました。

 

簡単に説明すると、水球とは、水上で行うハンドボールです。

 

この部活に入部してしまったのが運の尽きでした。

 

 

 

 

大浦朝美。

僕が一番嫌いな人間です。

 

僕が所属していた水球部の元顧問であり、元オリンピック選手(水球)でもあります。

 

このカス、カスである所以はいくらでも書けるのですが、長くなるので掻い摘んで説明しますと、教え子を人だと思ってません。

 

気に入らなければ好き放題に恫喝し、時に暴力を振るい、部員を水に沈めたこともありました。

 

ゴミです。本当に人ではありません。

 

部員は半ばマインドコントロールされた状態で、退部するという選択肢すら頭にありませんでした。

 

通っていた学校は中高一貫校でしたので、6年間耐えるしかなかったのです。

 

嫌で嫌で仕方なくて、それでも逃げ場はどこにもない。

そんな生活が続きました。

 

朝6時に起きて、5キロ自転車漕いで水に潜り、授業を受けたらまた水、終わればまた漕いで帰ったら速攻で塾。

終わったら課題と予習復習。

土日祝祭日に休みは無く、一日中動きっぱなし。

 

これを12とか13歳の頃に毎日やってました。

 

もっと辛い生活を送っている人は山ほどいるでしょう。

しかし、ぬるま湯に浸かった生活を送ってきた僕にとっては大変辛いものでした。

 

特に水の部分。

ミスすれば怒鳴られ、殴られる恐怖と戦っていました。

常に耳を澄ませ、呼ばれたら大きく返事をして走って向かいました。

気を張り詰めて、刺激しないように動きました。

ミスをした先輩が水に沈められていくのを見つめることしかできませんでした。

 

 

そんな生活を二年と半年頑張りました。

 

10月ぐらいの話ですかね。

水温は20度を切っていました。

 

どんぐらい冷たいかと言うと、水に入ったらまず感覚を無くすために手足をパタパタさせるんですよ(水がかき混ぜられるとクソ冷たいため)。

で、感覚が無くなったら泳ぐんですよ。アホみたいでしょ?

 

そんな環境で泳いでたら、体調も悪くなりますよね。

感覚で発熱しているのが分かりました。

 

それでも、部活を休むことは許されません。

震える体に鞭打って、冷たい水に浸かりました。

 

 

 

 

家に帰るなり、ブッ倒れました

 

 

 

 

体が辛い。痛い。

 

 

けど、それよりも、明日はまず学校に行けない。

親が行かせてくれない。

そのことに絶望していました。

 

 

休んだら何を言われるか分からないからですね。

 

 

すっげー怖かったです。

 

 

 

 

 

 

熱、2日ぐらいで下がったんですけど、何も食べられなくて飲めませんでした。

 

それが二週間ぐらい続いたんですよ。

10キロ落ちました。

 

この時点で、僕は退部を決めていました。

それでも、自分で言う勇気は無かったので、情けないと思いつつも母親に頼みました。

 

これも後から分かったことですが、当時僕らは中3だったので、中学部のキャプテンは我々中3から選出されたんですよ。

 

そのキャプテン(仲が良かった)も同時に体調を崩し、僕の2日後に退部しました。

 

それを皮切りに、中3の部員の計9人中、8人が退部しました。

ほぼほぼボイコットですね。

 

 

その後、僕は知らなかったのですが、親父が学校に乗り込んで校長に抗議したそうです。

 

うちの息子に何かあったらどう責任取ってくれるんだと。

大浦を解雇しろと。

 

 

そのかいあってか、大浦は異動になりました。

解雇とか警察沙汰にならなかったのは、恐らく大浦に権力があったからですね。

 

 

これで平和になったね!ちゃんちゃん!

とはならなかったんですよね。

 

 

 

 

栃木県内で中高一貫校、さらには水球部が存在している学校なんて1つしかないので言ってしまうんですけど、僕は宇都宮東高等学校(附属中学校)に通っていました。

 

調べていただければ分かると思うんですけど、高等部の偏差値は67です。

県内の公立校に限れば、上から三番目なんですね。

 

 

そんな学校を2週間休んだらどうなるか。

そうですね、勉強についていけなくなります。

 

 

そこから僕は成績不振に陥り、勉強にコンプレックスを抱くようになりました。

 

次第に教室で勉強ができなくなり、保健室登校になりました。

たまに友人や担任が来てくれて嬉しかったのを覚えています。

 

 

僕は、いわゆる不登校でした。

 

 

教室に入れない自分が嫌で、情けなくて、勉強もできず部活も辞めた自分に価値があるのか。

夜も眠れない日が続き、日が昇るまで体育座りしていたなんてこともしばしば。

 

自殺も何回も考えました。

刃物こそ使っていませんが、爪で腕をガリガリしてたこともあります。

これって自傷行為にあたるんですかね。

 

死ぬ勇気なんかないくせにそんなこと考えんなよってずーっと言い聞かせてました。

 

まあ勇気がなかったのもそうなんですけど、なんで生きてたかって言うと、ゲームと友人の存在ですね。

 

 

たいしょーとか🍅とかちゃすか辺りはそうなんですけど、スプラトゥーンを通じて仲良くなったリア友です。

 

僕が不登校になってからも、前と変わらず、何を聞くこともなくタグマしようぜ!ってラインが来ました。

 

本当に感謝してます。

僕が今生きてるのはこいつらのおかげです。

(あ、言い忘れてたけど、このリンクとかスクショをツイートするとかはやめていただけると嬉しいです。本垢に見られたくないフォロワーが結構いるので)

 

 

そのかいあって、中学校は無事卒業しました。

 

どうせ高校も通うんだから泣くわけねーなw(フラグ)とか思ってたけど、担任に今までありがとうございましたってお礼言ったら泣きながら抱きつかれて貰い泣きしました。

 

 

これで中学校のお話は終わりです。

次は高校のお話に移ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校のお話

 

 

高校ですが、入学してからは割とすんなりと登校することができていました。

 

帰宅部という気楽さも相まり、勉強にも趣味にも時間が取れるようになって、落ち着いた生活が送れました。

 

 

 

そんな平和な日常もつかの間、僕はいきなり、朝に起き上がることができなくなりました。

 

なんなんでしょうね。

こればかりは今考えても原因がわかりません。

 

急に体が動かなくなって、でも震えるんですよ。

 

欠席を余儀なくされました。

 

 

 

日が進むにつれて、そんな症状が出る頻度は高くなっていきました。

 

なんとか夏季休暇まではこぎつけましたが、ほんの30日程度の休みなんかあっという間。

後期もそんな日が続き、ついにお偉方に呼び出されました。

 

 

長机が並び、スーツを着た大人に睨みつけられ、萎縮していました。

内容は、もちろん単位のこと。

 

 

休学、留年などのお話を受けましたが、まあ言ってしまうと僕は10月に転校しました。

 

 

更に言ってしまえば、転校先の学校すら肌に合わず、もう一度転校しました。

 

 

 

 

 

 

 

情けない。

 

 

親不孝、努力ができない、堪え性がない、

 

 

またも僕は自責の念に苛まれることになります。

 

 

 

 

 

 

心配した母親は、僕を心療内科に連れていきました。

 

結果、僕は軽度鬱不安障害と診断されました。

 

 

まさか自分が心の病気にかかるとは思ってもみませんでしたね。

まあ今現在は、服薬こそしていますが、そこそこ元気なのでご心配なく。

 

 

が、やっぱり当時はまた自殺とかも考えるようになりましたね。

 

で、今回も例によって、生きる糧があったんですよ。

 

それがTwitterアイマスですよね。

 

 

よくアイマスはガンに効くとか言いますけどね、ガンに効くかは分かりませんけど、鬱には効きましたよ。

担当のイベント走ってるときは幸せでした。

限定ガチャで気合で出したら感極まってフォロワーに電話したこともありました。

 

やはりアイマスというクソデカコンテンツとフォロワーという存在は偉大ですね。

 

趣味という1つの共通点だけで、年齢性別出身境遇、諸々が違くても仲良くなれるのは凄い事です。

 

まあこの人たちとまだ仲良くやっていたいと思ったから自殺は思いとどまったわけですね。

 

ありがとうフォロワー!!!

 

 

 

 

 

 

まあ、高校時代にもたらふく色んなことあったし、修学旅行に秋キャンプ、AO合宿に定期テストスプラトゥーン甲子園出場、クソデカ悩みごと(ボカし)もありました。

 

まあこれらは割愛します。

僕の核は前述したことが大きいですからね。

 

 

 

 

 

 

 

大学生(今)のお話

 

 

 

単位が取れねェ。

 

悩み事はたくさんあります。

でもまあ、それはほとんど大学に関することで、単位取れるか心配とか、オンライン授業のせいで友だちいねぇとか、そんな感じです。

 

なんとかやってます。ので、ここも割愛させてください。

 

 

 

 

 

 

総括

 

 

まあ要約しますと、

 

 

中学受験

水球部入部(顧問がゴミ)

不登校

高校入学

転校(二回)

鬱&不安障害

大学入学(イマココ)

 

 

って感じですかね。

 

 

いやー、思えば色々あったもんですね。

 

ここはこうした方が良かったな、とかさ、後悔もあるにはあるんだけど、まあ過ぎたことをクヨクヨしててもしゃーないですからね。

 

前向きに行きましょう。

 

 

 

それとですね、僕が今こうして生きていられるのって、割と昔からのフォロワーとか、仲良くしていただいてるフォロワーのおかげです。

 

実は辛いとき、我関せずといつも通り接してくれたり、時には心配してくれたり。

 

本当に感謝してます。

 

 

 

まあ僕は相談とかそんなポンポンできる人じゃないのでこれからも(あ、またこいつ病んどるやん)ってなると思うんですよね。

 

でも、今まで通りの対応をしてくれれば、僕はそれで幸せです。

 

またやってんなーぐらいに思っといてください。

 

以上!僕の長い長い自分語りでした。

読んでくれてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

大学生活一日目の感想

どうなってんだ、クソッタレ。

俺は心の中でそう呟いた。

 

閑散とした自転車置き場の中心で天を仰いだ。

 

高い空と広がる雲が、嘲笑うかのように俺を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。僕です。

一人称が文面と現実で違うタイプの人間です。

 

気取ったような書き出しですが、今回は大学生活の第一歩を踏み出した感想を書き連ねて行きます。

 

お時間のある方は、私のブログ……ゆっくり読んでよ(朝倉透)

 

 

 

 

 

 

僕は齢にして18です。

昨日入学を許可され、晴れて大学生として第一歩を踏み出しました。

 

僕の実家から大学までは、おおよそ10キロほど離れていまして、それを自転車で通うんですよね。

 

まあ〜〜今日家を出る時なんか相当憂鬱でしたよ。

チャリンコ漕ぐのは結構好きですけど、10キロはやりすぎだろ。。。

 

しかもアホほど起伏が激しいんですよね。

新品とはいえ普通の自転車ですからね。ギア1でひいひい言いながらペダルをぐるぐるしてました。

 

ここのところ軽く咳が出るので(コロナ)、誘発されてバカみたいに咳き込みました。

痰が乾いて嗚咽まで出る始末。

 

それでもなんとか辿り着きました。

 

 

 

今日の日程は身体測定とクラス分けテスト。

これを不要不急ではないと判断した理事長は後でアイアンメイデンにブチこむとして、とりあえず最初の方は休むわけにはいかないですよね。

 

僕は気の小さい人間ですから、とりあえずお仲間が欲しいわけですよ。

 

最初から自主休校なんてしようもんなら、速攻グループができて、輪に入れなくなってしまうので。

 

 

 

そんな心配も、大学に着いてしまえばこっちのもんです。

 

コミュ力には少しだけ自信があります。

元々あるコミュニティに入っていくだけの力はありませんが、初対面の人間なら会話を繋ぐことは容易です。

相手の趣味を掘りつつ、共通点を探ればいいだけの話ですからね。

 

 

 

そんな傲慢な考えはすぐに打ち砕かれることになります。

 

 

 

身体測定の会場の前に到着するやいなや、目に入ったのは、数々のグループでした。

男女問わず、仲睦まじく談笑をするグループ、グループ、グループ。

 

そこで僕は思い出しました。

 

この大学は、幼稚園から大学までエスカレーター式の大学。

そりゃあ高校から入った人はグループあるよね。

知り合いもたくさんいるよね。

 

 

 

ここで僕は軽く絶望しました。

その理由について、少しだけ昔話をしましょう。

 

 

 

その昔、僕は中高一貫エスカレーター式の学校に通っていました。

今日から高校受験をして入ってくる新しい仲間が来るとあって、中学時代に作った友人とわいきゃい盛り上がっていました。

 

が、いざ新入生が入ってくると、うまく話せないんですよ。

というか、話しかけに行きづらいんですよね。

 

そりゃそうです。だって知らん人だもん。

できることなら仲のいい人間とだけつるんでいたいのは僕だけじゃないですよね。

 

俺たちは孤独じゃない。

既にコミュニティがある。

 

図らずとも、それでマウントを取って安心してたんでしょうね。

 

新入生は居た堪れなさそうに本を読むばかりでした。

 

 

 

自分が彼らと同じ状況に立たされる事になるとは思いませんでした。

 

とりあえず時間になったので身体測定に向かいましたが、コロナ対策もあり、隣の席は離れること3席。

グループがバラつくチャンスでしたが、話そうにも話せない状態でした。

 

 

 

身体測定が始まります。

 

個人的にショックだったのは、視力が両目とも0.5に落ちていたことですかね。

再検査らしいですけど、このままだと眼鏡をかけるハメになりそうです。

 

あと血圧がクソ高かったですね。

僕、前に病院で測ったら、クソ低すぎて親に笑われたぐらいだったんですけど、最高値149とかになってました。

緊張してたのは関係あるんですかね。

 

それと血液むっちゃ抜かれた。

抜くな。血を。それが無いと生きていけないものを奪っておいて平気な顔をするな。笑うなおばさん。

 

おばさんとか言ってますけど、今日話してて一番楽しかったのは、血液を抜いてくれたおばさんでした。

おばさんは世界を救う。ババアイズメシア。

 

 

 

身体測定が終わったあとは、30分ほど間を空けてクラス分けテスト。

その30分がキツいのなんのって。

 

限界が速攻で来て、知ってる人は知ってると思うんですけど、とまとぼうや君に電話をかけました。

 

まぢヤバイんですけど、チョベリヴァ〜的な話をしてるうちに、キチゲが溜まってしまいました。なぜ。

 

あろうことか、僕は知らん奴に凸撃して仲良くなってやろう大作戦を結構することになってしまいました。

 

 

まずはそこら辺にいたガッチリ体型の男の子に声をかけました。おはよう!

 

戸惑ってたわ。そりゃそうだろ。誰だか知らんやつにおはよう!って言われたら戸惑うよね。

僕ならツイッター特定してブロックするまである。

 

まあ諸々説明して、ちょっと喋ろっかってなったので一安心。

 

その子は、別の市から自分の車で来ているとのことでした。

趣味はドライブ。

実に男らしい趣味で感動さえ覚えてしまいました。 

 

そうなんですよ。僕はなんともう18歳。

免許が取れる歳なんですよね。

 

今までドライブなんてモンは、親とかそういう類の人間専用のものだと思ってたんですけどね。

この歳になると、かなり身近なものになってしまうんですね。

 

残念ながらゲームはやっていないとのことだったので、ぐわ〜と言って別れました。次。

 

 

 

二人目は無愛想なヤセ型の男の子でした。

 

目を合わせるのが苦手なのか、こちらを見たのは数えるほどでした。

てか肩がこっちを向いてなかった。ウザがられていた説まであります。

まあ拒絶はされなかったので大丈夫でしょう。

 

拒絶されていたら3週間は休んでいたでしょうね。危なかった。

 

その子はサッカー部で、ディフェンスをつとめているそうです。

将来は小学校の教師になって、ちびっ子の勉強のお手伝いがしたいんだとか。

 

無愛想な割にいい夢もってんじゃねーか……(失礼)

 

そこでテストの時間が来たので別れました。

いやーキツかったっすね(因果応報)。

 

 

 

クラス分けテストはゴミでした。

50分時間が設けられていましたが、10分ちょいで終わりましたね。

あとは大崎甜花を描きながら待ってました。

ひぃん

 

 

 

テストが終わり、解散になりました。

息苦しい感覚から解放され、この居た堪れなさからも逃げることができると思うと足が軽くもなります。

 

自転車置き場でフォロワーとリプを交わし、安心感と不安、焦燥、いろいろな感情が混ざり合ってしんどかったので、とりあえず腰を振っておきました。

 

 

 

見上げた空はどこまでも高く、広く、美しいものでした。

 

できることなら、僕も概念として生まれたかったものです。

 

 

 

 

帰りの自転車は、40分ほどかかりました。

物を考えるには十分過ぎる時間で、色々なことを考えました。

 

 

 

友達はできるのか。

そもそも気の合う人間はいるのか。

この先通っていけるのか。

本当に大学生活は楽しいのか。

600万出してもらうだけの価値は大学にあるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

考えるだけ無駄でしょうか。

そんなの分かりませんね。

 

でも考えてしまうのは、性格ですから。

 

 

 

とりあえず、初日の感想としては、「糞」です。

 

今年度から大学生になったフォロワーも多々いると思います。

 

大学の四年間は、自分の夢から見える景色を広げるためにあると思っています。

 

僕にも夢があるので、それを潰えさせてしまう訳にはいかんのです。

 

 

 

一緒に、頑張っていきましょう。

 

 

 

えっ!?キャンプ24の私が甲子園に!?

僕は今、フォロワーの家にいる。



床にはなぜか旭ポンズ

部屋の隅には配信環境。

ごちゃついたワンルームは、なぜか居心地が良かった。



僕は紙マスクを外し、部屋主である”よしお”、通称メスゴリラのヘッドンホホを装着した。



なぜこんな状況になってしまったのだろうか。

時は数ヶ月前まで遡る……ことはない。

長くなりそうなので掻い摘んで説明すると、



前回甲子園のメンツ二人と甲子園出場を目論む

FF外募集で一本釣り

バイトをサボりフォロワーの家に前泊



今北産業(死語)の人間にも説明がつく。

自分の国語力が末恐ろしいぜ……



ちなみに、この内容のブログを書き留めるのは今日で三回目だ。

先の二回は、どちらも5万文字を超える超大作になってしまったので消した。



……というわけで、僕は今、よしお宅に潜入している。

ヘッドンホホを装着し、いざ甲子園に向けてスプラトゥーンの練習を。

するとお思いだろうか。

僕もそう思った。



しかし、何をトチ狂ったのか、僕が起動したのはPS4だった。

任天堂SONYの一騎打ち。

選ばれたのはSONYでした。

アホか?なんでナワバリの練習しないの?

そう心の中で思いつつも、僕はホロサイトで敵の頭を撃ち抜いた。

そう、リージョンは最強なのだ。

キャンプ?毒針でも踏ませてろ。

当時の僕はマジでそう思っていた。



24時過ぎに家主が帰ってきた。

なんと、家主は今まで働いていて、ただのフォロワーに過ぎない僕に家を明け渡していたのだ。

なんと強靭なメンタル。大雑把な性格。

見習いたいものだ。



ちなみに僕は寝ていた。

マスクも外さず、丸まって寝ていた。

僕も大雑把かもしれない。



翌朝目が覚めると、よしおは化粧をしていた。

こっちを見るなと言われるが、起き抜けの目に映る視界は決して良いものとは言えない。

笑いながら、僕は親権者同意書を取り出し、母親を差し置いてよしおにサインをしてもらった。

よしおはこの時点で僕のママになったのである。ばぶ。



クソ寒い外気に肌を刺されつつ、よしおの職場を通り抜ける。

電車に乗り、大田区までガタンゴトン。

途中乗る電車を間違えるアクシデントもあったが、大雑把パーティからしたらもはや誤差である。

緊張はしていなかった。

AO受験対策の合宿で、散々メンタルは鍛えられた。

むしろ隣のリーダーの方が緊張していた。

デレステの仕様に文句を言っていたのを覚えている。

ユッコかわいいね。



時間がなかったので、最寄り駅からの道のりおよそ1kmを、ほぼ競歩で歩いた。

歩くのは好きだが、あまり急いで歩くと疲れてしまうものだ。

マスクを隔てた呼吸に息苦しさを感じながらも、おおざっパーティは無事に時間前に大田区総合体育館に到着した。



最初に顔を合わせたのは、前回甲子園のキル担当、ゆちなさん。

イケメン高身長ゲームうまいの3連コンボを1年半ぶりに喰らった僕は、今ここでゆちなさんを葬るべきか否かで迷っていた。

葬るのは甲子園のあとでも遅くないことに気付き、とりあえずポケットに忍ばせておいたバタフライナイフから手を離した。



すると、後ろから聞き覚えのある声がする。

あー、これシュリさんだわ。

何度経験しても慣れないものである。

知らない顔から知っている声が聞こえる違和感というものは。



シュリ。チャーメイン(過去形)。

FF外募集にまんまと釣られたのがこの男。

のちにとんでもない活躍を収め、チームの勝利に大きく貢献する男である。



見事4人パーティとなった我々は、意気揚々とエントリーをしに向かった。

メインステージがすぐそこにあり、無理を承知でもあそこに登ってみたいと語り合った。



前回甲子園の二回戦の相手、もぐもぐチームと再開を果たしたのち、強烈な便意で退場。

そのトイレの中で、とあるフォロワーからエンカのお誘いが来た。



りんごてぃーさんだった。



関西のイントネーションが特徴的なクアッド使い。

現環境でクアッドホッパーを持ち続ける姿勢は、まさにドMと言えるだろう。

リーダーから招集のラインが来ていたものの、ひと目りんごてぃーさんを見るべく、僕は血眼になってそれっぽい人を探した。

意外にも、りんごてぃーさんは爽やかお兄さんだった。

もっと強面だと思ってた。

激励を受けたのち、早々に立ち去ったものの、強く元気づけられた。



Hブロックの一回戦が始まる。



性格の悪い僕は、性格の悪いシュリさんと根も葉もない相手の悪口を叩きまくっていた。

今となっては緊張を紛らすためのものだったと分かる。

マジでごめんなさい。



ちなみに、試合で使われたチーム名を記入するホワイトボード。

アレに描かれていたヨクバリスは、全て僕がよしおに半ば強制的に描かされたものだ。



一回戦 vsぬるぽ

ステージはアンチョビットゲームズ。



チャーリールで募集をかけたはずだったが、シュリさんはなぜかスシベを持っていた。

片アーマーかつアーマー二枚の編成に、割と動揺したのを覚えている。



一回戦は見事勝利。



スシベのキル数がとんでもないことになっていた。

僕のリア友も褒めてた。

勝った興奮で饒舌になってしまう。

シュリさんの肩をバンバン叩き、4人固まって装備を記入した。



二回戦が始まる前に、一回戦勝利チームのインタビューコーナーがあった。

全256チームの一回戦勝利チームなので、合計128チームのインタビューが行われるわけだ。



長い。




目の前の中学生チームを眺めつつ、ぎこちなくメンバーと談笑していた。

別段インタビューは面白いこともなく、暴徒さんの顔を拝んで降りてきた。



二回戦の準備が始まる。



二回戦 vs#ずっとなかよしならいいのに。

ステージはまたもアンチョビットゲームズ。



一回戦で経験できたアドを生かせるかが鍵となりそうだ。

デュアデュアに即割りを採用した編成。

即割りで2枚溶かされたのが印象的だ。

マルミの索敵と右を抑えられた結果、二回戦も勝利。

ご機嫌で装備記入をしていたその時、後ろから声をかけられる。



敵チームのリーダー、わんわんだった。



イケメンが話しかけてくんじゃねーよと思ったが、手を差し出されては返さないわけにはいかない。

咄嗟に出したのは、左手に対して右手だった。

アホか。荷物を持っていたなら、持ち替えればいいだろ。

が、勝利によるドーパミンの過剰分泌でそんなことはどうでもよく、僕たちの握手はチンパンジーとするときみたいになってしまった。

チンパンジーは握力が強いため、潰されないよう手の甲側から握手をするのだ。



この握手は、この日の夜に強く後悔し悶えることとなる。



わんわんとはその夜以降はちゃめちゃに仲良くなり、今では対抗戦やどうぶつの森をよくやっている。

わんわんと僕は両想いなのだ。ちゅっ



三回戦 vs勝ったらタコパ!

ステージはコンブトラック。



ステージに合わせた適切な編成で、右外周から押すキャンプはバケエクスに再三苦しめられた。

が、左から押してくるキャンプを、ゆちなさんがスーパーブロック。

おかげで自陣に攻め込まれることはなく、心置きなく敵陣を汚すことができた。



三回戦もなんと勝利。

前回は三回戦で敗れてしまったため、ここで雄叫びを上げてしまった。

よしおが笑っていたのを覚えている。畜生。



ここからは未知の領域。

チーム数も減ってくるため、その分インターバルも少なくなる。



四回戦 vs fall asleep

ステージはチョウザメ造船。



ここで勝ったらメインステージ。

もちろん緊張も大きくなる。

手汗も滝のように分泌していた。

ヘッドンホホから漏れる音に敏感になる。

何度も感度や装備を確認し、士気を上げるべく鼓舞をした。



敵の編成はザ・ナワバリ。

赤ザップを採用したバランス型。

ここでもエクスのメインやサブに苦しめられることになる。



とにかく死なないように、パージを飛ばしては退くことを意識した。

が、ここでパプロ(よしお)が前に出る。

そこにヘイトが溜まったので、パージと共にハンコで突っ込んだ。

咄嗟の判断は見事にぶっ刺さり、その後もラインをキープ。



見事四回戦も突破。

ダメ元で語ったメインステージの夢は、現実となったのだ。



その後、写真撮影を行い、ステージ裏に案内された。

ステージ裏は簡素で、人数分の椅子とモニターが用意されていた。

鼓動は緩まることを知らず、TwitterとLINEをヘビロテして誤魔化していた。



姉貴やリア友、さらにはゲームに疎い母親にも話は届き、フォロワーも合わせて十数人の知り合いが生放送を視聴していた。

必ず勝つと大口を叩き、高鳴る胸を押さえつけステージ横へ移動した。



五回戦 vsぜったいちゅうせんとーるもん



ネトストが趣味なので、チーム名で検索し、27ダイナモであることが分かった。

普段の対抗戦では、格上が相手だと途端にしょぼくれる僕ではあるが、この時ばかりはメラメラと燃える何かがあった。



せっかくメインステージまで上がれたんだ。

見てくれている人たちを、少しでも楽しませたい。



せめて拮抗、あわよくば一勝。

一矢報いる気持ちで丸椅子を引いた。



が、ステージはムツゴ楼。

リーダーのよしおが唯一パブロを出せないステージだった。



今思えば、ここでもパブロを出させてあげたかった。

頭の固い僕のミスだった。



初動から中盤は、中央で熱いカバーの応酬だった。

本番に弱い緊張しいの僕だが、なぜかその時は頭が冴え、苦手なキャンプ対面も何度か黒星を収めていた。



のちにそのキャンプも27であることがは判明し、いかに集中していたかがよく分かる。



が、中盤以降、勝ちたいという欲がどうしても抑えられなかった。

頭数を減らし、塗り面積を増やすことしか考えられなくなった。

最短から脳死で降り、デス。

それが続き、焦りとなってプレイに影響を及ぼした。

最後の最後にダイナモにシバかれ、放心。



北のゆちな、シュリペアの健闘もあり、結果は0.9%差で惜敗。

後悔の残る試合となってしまった。

その直後はあまり覚えていない。



胸に空く何かを抱えて、リュックを手に取った。

熱く、楽しく、底の底から湧き上がるような時間だった。



だからこそ、勝ちたかった。

少しでも上に行きたかった。



その願いは、惜しくも虚しく散ったのである。



携帯の充電と時間を考えると、残りの試合は見ていけそうになかった。

僕たちは互いを称え合い、別れることとなった。



ゆちなさんはモテモテなので、見に来ていたフォロワーとご飯を食べに行った。



シュリさんとは「また対抗戦やろうな!」と握手を交わし別れた。



京急蒲田まで、よしおとぼちぼち歩いて向かっていく。



笑って、はしゃいで、時に反省した。



また出よう、と突いて出た言葉は、正直なものだった。



なぜか後ろからもぐもぐチームに声をかけられ、Tシャツにヨクバリスを描いてきたのはいい思い出だ。





総括すると、本当にいい思い出になった。

高校三年間の中でダントツで楽しかったまである。





稚拙な駄文をここまで読んでくれたスプラトゥーンプレイヤー、ありがとうございます。

野上がどうのとか即割りがどうのとか、クーゲルがーとか擬似確がーとか言ってるけど、



僕は、このゲームが大好きです。



そして、この場を借りて、メンバーの三人に改めてお礼を言わせていただきます。

ありがとうございました。



僕はもうすぐ大学生になりますが、今までよろしく仲良くしていただけると嬉しいです。