俺の話を聞いてくれ

 

3ヶ月ぶりだな……(エレン)

 

 

 

こんにちは、鈴木です。

 

 

最近は罫線やキッスと呼ぶ人が減って、代わりにやっぴーとかあげまんとかって呼ぶ人が増えてきましたね。

鈴木が一番多いことには変わりないんですけれども。

 

それに関して嫌悪感とかは無いんですけど、若干こそばい感覚はありますね。

 

 

まあ世間話はこのぐらいにしておいて、今回の内容はタイトルの通りです。

 

僕が今まで生きてきた、人生についてのお話になります。

 

なんでこの話をするのかってお話をいたしますね。

 

 

実は(周知)僕、中々メンタルが弱くて、些細なことでたくさん考え込みます。

 

このアカウントではあまりやっていませんが、弱音を吐いたりグチグチ色んなモン垂れてたりしてます。

 

なんかこう、スマートと言うか……飄々とした人間が好きなもんで、ウジウジするの本当は好きじゃないんですけどね。

 

 

まあそれは置いておいて、そのウジウジムーブをかましたりだとか、古の鍵垢で書いたブログを読んだ人(いるかは分からない)ならわかると思いますが、史上最大に悩んでた時期も直近にありました。

 

そんなことをしていれば、優しいフォロワー様が声をかけてくれる、なんてこともありますよね。

 

空リプ、Line、DM。電話までいただいたこともありましたね。

 

ホントありがとうございます。

 

 

が、僕自身、相談というものがハチャメチャに苦手でして。

 

心の内だとか悩み、不安みたいなものを他人に吐く。

そうすることで、「なんだ、そんなショボいことかよ」って言われたり思われたりするのが嫌なんですよね。

 

あと、前述した通り、飄々とした人間が好きだからってのもあります。

そういう人たちって、悩みなんてなさそうですしね。

 

そんなことはしない人たちをこの三年で濾してきたつもりではあるんですが、不安というものは拭っても拭ってもついてくるものです。

 

 

でもやっぱり、それで怖がって何も言えなくて、お前は信頼してないって思われるのも芳しくありません。

 

 

ですんで、この機会に僕の人生について話せる部分は事細かに、話せない部分はボカしつつ書きなぐっていこうかなと思った次第です。

 

 

鈴木という人間が、どのように生き、悩み、何を見据え何を考えているのか。

 

それについて長ったらしく語っていきたいと思います。

 

 

 

 

遅くなりましたが、要約いたしますと、

 

このブログは、僕の今までの人生や心情などを無限に書き連ねる自分語り山盛りの内容になっております。

最高に長くなると思われます。

苦手な方はブラウザバックしてください。

 

 

 

 

それではレッツゴー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生までのお話

 

 

まずは小学生以前のお話になります。

 

鈴木くんは、2002年1月16日、某市内の病院に産み落とされ、障害や大きな病気、怪我もなくすくすくと育ちました。

 

 

性格が構成される大事な時期ですが、人見知りこそ入ってはいましたが、明るく社交的で、クラスの中心に立てるような人物でした。

 

今でこそカスみたいな陰キャに成り下がってはしまいましたが、幼少期はまあリーダー格で、スンゲ〜楽しかったですね。

 

 

そんな中ですね、卒業も見えてきたって頃に、担任の先生から中高一貫校の受験のお話をいただきまして。

 

確かに成績は中の上ぐらいだったんですけど、なんで俺なんだろうと。

 

小学校のテストなんか全員100点取れるじゃないですか。

なのになんで俺なんだよと。

 

まあ今考えてみるとですね、実はその担任の先生、過去に教鞭を執っていた祖母の後輩だったんですって。

 

それも手伝ってか気に入られてたんですよね。

 

それで受けてみたら?って言われたので、記念受験するか〜っつって承諾しました。

 

 

受験内容は、作文と面接、それと適性テストと呼ばれるクイズのようなテストでした。

 

当時は作文が苦手だったので、ネットで公開されていた過去問に目を通しておくように言われたのですが、普通にサボりました。

 

見るふりしてニコニコでパワプロ桃鉄の実況見てた(バレてしこたま怒られた)。

 

 

って言うのが続いて、ほぼノー勉のままやってきた受験日。

 

結果としては、ゴミでしたね。

作文はABC評価でB、適性テストに至っては54点。

 

後で分かったことなんですけど、適性テストの平均点が35点ぐらいだったんですよね。

実は優秀だったっていう。

 

まあ当時は知らんかったので、落ち込んで……

 

 

 

 

ませんでした

むしろ、これでみんなと同じ中学校に通える!と喜んでました。

 

 

ま、結局受かったんですけどね。

やは〜♡

 

 

 

 

 

中学校のお話

 

 

はい、中学校編です。

 

ここからちょっと詳しく書いていくので、長くなります。

ご了承ください。

 

 

僕の中の陰キャが顔を出したのは入学したての頃でした。

 

前述した通り、僕は人見知りが結構激しいです。

今でこそSNSを通じてマシになりましたが、当時は酷いもんでした。

 

まあ〜〜誰とも話せず2週間。

本当に厳しかったですね。

 

粋な計らい(?)で入学から2週間で冒険活動という宿泊イベントを学校が開いてくれるので、友達はまあできましたけど、その2週間が結構なトラウマになっちゃったんですよね。

 

そこからはおとなしめの温和な人間として生きていました。

 

 

 

まあそこまではいいんですよ。

 

次に、部活の話に入ります。

ここで僕は、人生最大のミスを犯しました。

 

 

 

知ってる方も多いと思いますが、僕は中学時代、水球部に所属していました。

 

簡単に説明すると、水球とは、水上で行うハンドボールです。

 

この部活に入部してしまったのが運の尽きでした。

 

 

 

 

大浦朝美。

僕が一番嫌いな人間です。

 

僕が所属していた水球部の元顧問であり、元オリンピック選手(水球)でもあります。

 

このカス、カスである所以はいくらでも書けるのですが、長くなるので掻い摘んで説明しますと、教え子を人だと思ってません。

 

気に入らなければ好き放題に恫喝し、時に暴力を振るい、部員を水に沈めたこともありました。

 

ゴミです。本当に人ではありません。

 

部員は半ばマインドコントロールされた状態で、退部するという選択肢すら頭にありませんでした。

 

通っていた学校は中高一貫校でしたので、6年間耐えるしかなかったのです。

 

嫌で嫌で仕方なくて、それでも逃げ場はどこにもない。

そんな生活が続きました。

 

朝6時に起きて、5キロ自転車漕いで水に潜り、授業を受けたらまた水、終わればまた漕いで帰ったら速攻で塾。

終わったら課題と予習復習。

土日祝祭日に休みは無く、一日中動きっぱなし。

 

これを12とか13歳の頃に毎日やってました。

 

もっと辛い生活を送っている人は山ほどいるでしょう。

しかし、ぬるま湯に浸かった生活を送ってきた僕にとっては大変辛いものでした。

 

特に水の部分。

ミスすれば怒鳴られ、殴られる恐怖と戦っていました。

常に耳を澄ませ、呼ばれたら大きく返事をして走って向かいました。

気を張り詰めて、刺激しないように動きました。

ミスをした先輩が水に沈められていくのを見つめることしかできませんでした。

 

 

そんな生活を二年と半年頑張りました。

 

10月ぐらいの話ですかね。

水温は20度を切っていました。

 

どんぐらい冷たいかと言うと、水に入ったらまず感覚を無くすために手足をパタパタさせるんですよ(水がかき混ぜられるとクソ冷たいため)。

で、感覚が無くなったら泳ぐんですよ。アホみたいでしょ?

 

そんな環境で泳いでたら、体調も悪くなりますよね。

感覚で発熱しているのが分かりました。

 

それでも、部活を休むことは許されません。

震える体に鞭打って、冷たい水に浸かりました。

 

 

 

 

家に帰るなり、ブッ倒れました

 

 

 

 

体が辛い。痛い。

 

 

けど、それよりも、明日はまず学校に行けない。

親が行かせてくれない。

そのことに絶望していました。

 

 

休んだら何を言われるか分からないからですね。

 

 

すっげー怖かったです。

 

 

 

 

 

 

熱、2日ぐらいで下がったんですけど、何も食べられなくて飲めませんでした。

 

それが二週間ぐらい続いたんですよ。

10キロ落ちました。

 

この時点で、僕は退部を決めていました。

それでも、自分で言う勇気は無かったので、情けないと思いつつも母親に頼みました。

 

これも後から分かったことですが、当時僕らは中3だったので、中学部のキャプテンは我々中3から選出されたんですよ。

 

そのキャプテン(仲が良かった)も同時に体調を崩し、僕の2日後に退部しました。

 

それを皮切りに、中3の部員の計9人中、8人が退部しました。

ほぼほぼボイコットですね。

 

 

その後、僕は知らなかったのですが、親父が学校に乗り込んで校長に抗議したそうです。

 

うちの息子に何かあったらどう責任取ってくれるんだと。

大浦を解雇しろと。

 

 

そのかいあってか、大浦は異動になりました。

解雇とか警察沙汰にならなかったのは、恐らく大浦に権力があったからですね。

 

 

これで平和になったね!ちゃんちゃん!

とはならなかったんですよね。

 

 

 

 

栃木県内で中高一貫校、さらには水球部が存在している学校なんて1つしかないので言ってしまうんですけど、僕は宇都宮東高等学校(附属中学校)に通っていました。

 

調べていただければ分かると思うんですけど、高等部の偏差値は67です。

県内の公立校に限れば、上から三番目なんですね。

 

 

そんな学校を2週間休んだらどうなるか。

そうですね、勉強についていけなくなります。

 

 

そこから僕は成績不振に陥り、勉強にコンプレックスを抱くようになりました。

 

次第に教室で勉強ができなくなり、保健室登校になりました。

たまに友人や担任が来てくれて嬉しかったのを覚えています。

 

 

僕は、いわゆる不登校でした。

 

 

教室に入れない自分が嫌で、情けなくて、勉強もできず部活も辞めた自分に価値があるのか。

夜も眠れない日が続き、日が昇るまで体育座りしていたなんてこともしばしば。

 

自殺も何回も考えました。

刃物こそ使っていませんが、爪で腕をガリガリしてたこともあります。

これって自傷行為にあたるんですかね。

 

死ぬ勇気なんかないくせにそんなこと考えんなよってずーっと言い聞かせてました。

 

まあ勇気がなかったのもそうなんですけど、なんで生きてたかって言うと、ゲームと友人の存在ですね。

 

 

たいしょーとか🍅とかちゃすか辺りはそうなんですけど、スプラトゥーンを通じて仲良くなったリア友です。

 

僕が不登校になってからも、前と変わらず、何を聞くこともなくタグマしようぜ!ってラインが来ました。

 

本当に感謝してます。

僕が今生きてるのはこいつらのおかげです。

(あ、言い忘れてたけど、このリンクとかスクショをツイートするとかはやめていただけると嬉しいです。本垢に見られたくないフォロワーが結構いるので)

 

 

そのかいあって、中学校は無事卒業しました。

 

どうせ高校も通うんだから泣くわけねーなw(フラグ)とか思ってたけど、担任に今までありがとうございましたってお礼言ったら泣きながら抱きつかれて貰い泣きしました。

 

 

これで中学校のお話は終わりです。

次は高校のお話に移ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校のお話

 

 

高校ですが、入学してからは割とすんなりと登校することができていました。

 

帰宅部という気楽さも相まり、勉強にも趣味にも時間が取れるようになって、落ち着いた生活が送れました。

 

 

 

そんな平和な日常もつかの間、僕はいきなり、朝に起き上がることができなくなりました。

 

なんなんでしょうね。

こればかりは今考えても原因がわかりません。

 

急に体が動かなくなって、でも震えるんですよ。

 

欠席を余儀なくされました。

 

 

 

日が進むにつれて、そんな症状が出る頻度は高くなっていきました。

 

なんとか夏季休暇まではこぎつけましたが、ほんの30日程度の休みなんかあっという間。

後期もそんな日が続き、ついにお偉方に呼び出されました。

 

 

長机が並び、スーツを着た大人に睨みつけられ、萎縮していました。

内容は、もちろん単位のこと。

 

 

休学、留年などのお話を受けましたが、まあ言ってしまうと僕は10月に転校しました。

 

 

更に言ってしまえば、転校先の学校すら肌に合わず、もう一度転校しました。

 

 

 

 

 

 

 

情けない。

 

 

親不孝、努力ができない、堪え性がない、

 

 

またも僕は自責の念に苛まれることになります。

 

 

 

 

 

 

心配した母親は、僕を心療内科に連れていきました。

 

結果、僕は軽度鬱不安障害と診断されました。

 

 

まさか自分が心の病気にかかるとは思ってもみませんでしたね。

まあ今現在は、服薬こそしていますが、そこそこ元気なのでご心配なく。

 

 

が、やっぱり当時はまた自殺とかも考えるようになりましたね。

 

で、今回も例によって、生きる糧があったんですよ。

 

それがTwitterアイマスですよね。

 

 

よくアイマスはガンに効くとか言いますけどね、ガンに効くかは分かりませんけど、鬱には効きましたよ。

担当のイベント走ってるときは幸せでした。

限定ガチャで気合で出したら感極まってフォロワーに電話したこともありました。

 

やはりアイマスというクソデカコンテンツとフォロワーという存在は偉大ですね。

 

趣味という1つの共通点だけで、年齢性別出身境遇、諸々が違くても仲良くなれるのは凄い事です。

 

まあこの人たちとまだ仲良くやっていたいと思ったから自殺は思いとどまったわけですね。

 

ありがとうフォロワー!!!

 

 

 

 

 

 

まあ、高校時代にもたらふく色んなことあったし、修学旅行に秋キャンプ、AO合宿に定期テストスプラトゥーン甲子園出場、クソデカ悩みごと(ボカし)もありました。

 

まあこれらは割愛します。

僕の核は前述したことが大きいですからね。

 

 

 

 

 

 

 

大学生(今)のお話

 

 

 

単位が取れねェ。

 

悩み事はたくさんあります。

でもまあ、それはほとんど大学に関することで、単位取れるか心配とか、オンライン授業のせいで友だちいねぇとか、そんな感じです。

 

なんとかやってます。ので、ここも割愛させてください。

 

 

 

 

 

 

総括

 

 

まあ要約しますと、

 

 

中学受験

水球部入部(顧問がゴミ)

不登校

高校入学

転校(二回)

鬱&不安障害

大学入学(イマココ)

 

 

って感じですかね。

 

 

いやー、思えば色々あったもんですね。

 

ここはこうした方が良かったな、とかさ、後悔もあるにはあるんだけど、まあ過ぎたことをクヨクヨしててもしゃーないですからね。

 

前向きに行きましょう。

 

 

 

それとですね、僕が今こうして生きていられるのって、割と昔からのフォロワーとか、仲良くしていただいてるフォロワーのおかげです。

 

実は辛いとき、我関せずといつも通り接してくれたり、時には心配してくれたり。

 

本当に感謝してます。

 

 

 

まあ僕は相談とかそんなポンポンできる人じゃないのでこれからも(あ、またこいつ病んどるやん)ってなると思うんですよね。

 

でも、今まで通りの対応をしてくれれば、僕はそれで幸せです。

 

またやってんなーぐらいに思っといてください。

 

以上!僕の長い長い自分語りでした。

読んでくれてありがとうございました。